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この本が、世界に存在することにこの本が、世界に存在することに
角田 光代 著 ; メディアファクトリー 出版 ; 2005.5
****文学**日本文学****

久々に出会った。そう思った。
角田光代サンの書く本を読んだとき、私は久しぶりの高揚感を持った。

思えば誰よりも本が早く読めるようになったのは
友達付き合いが上手じゃなかったからなのかもしれない。
それを思い出した。

『この本が、世界に存在することに』には短編9本とあとがきがおさめられている。
全てが「本」と人との関係を描いている。

本と出会ったのは本当に小さな頃だ。
自分では覚えていないような小さな頃、ハハがよく読み聞かせをしてくれたらしい。
自分で本を読んだ、とはっきり記憶しているのは朗読テープつきの「しらゆき姫」だった。

それはテープもついていたけれど、寝転んでハハが朗読してくれた絵本。
白雪姫の話自体は全く好きではなかったけれど、
ハハはその本を好んで読んでいたように思う。

大きな文字で書いてある言葉とは明らかに違うものをハハが読んでいる。
それは私にとっては母親が話を覚えていて語っていてくれるようにも思えた。

実際は文字がわかるようになって気づいたが、
私が読める平仮名とは別にページの隅に小さな字で物語が書いてあった。
あの小さな文字の文章を読むために漢字を覚えたのだ。

保育園のときみんなの前で読み聞かせをしたとき、
逆さになった文字を読めるなんてすごいね、とやたら褒めてもらった記憶がある。
褒められたら猿でなくても木に登るというものだ。

あれからずいぶんと本を読んだ。
外出すると危ないというわけのわからない祖母の言いつけで
学校からは真っ直ぐ帰宅しなければならなかった私は
いつも昼のメロドラマを見たあと本を読んでいた。
あの頃の私にとってテレビと本は私の世界のほとんどを占めていたのかもしれない。

今 図書館で働いているというと「本が好き」だと思われ
ハハの読み聞かせの話をすると、「やっぱり」という答えが返ってくる。
最初はすごく嫌だった言葉だが、今はどうでもよくなっている。

きっと今、本が嫌い 読書が嫌いと言い切ってしまう人は、
「この本が、世界に存在」しなかったらというどうなっていたのだろう、というような
本に出会ったことがないのだろう と、私は意地悪に考えるようになった。

私は今まで素敵な本とめぐり合ったと思う。
良書を読んだ、とか 高尚な本を読んだというわけではなく
私にとってその時その時に必要な、不可欠な本と出会ってきたということである。

もちろんハハのおかげもあるし、
保育園の卒園の時に園長先生がこっそりくれた絵本のおかげもあるだろう。

しかし、昔本が好きだった私も本を読んでいない時期が長くあったし
今の仕事についたのも「嫌いじゃないから」という理由のほうが大きい。

だってやたらと書籍って言うものは重いし、
自分で読むのは嫌いではないが、
人に本を貸し出し、貸した本を元に戻すことの何がおもしろいというのだ。
本当に本が好きだったらもっと別のことをしているに違いない。
本は読むのが楽しいのである。貸すのが楽しいわけはない。

でもひとつだけ今の仕事で楽しいことがある。
誰かが「この本が、世界に存在することに」感謝できる本と出会うのを見られることだ。

あとがきに角田光代さんも書いておられるのだが、
本を読むというのはとても個人的な作業で
それは私は彼が、彼女が好きというのと同じ様なものである。

私がすごく面白いと感じて、その本と出会って人生の視点が変わったように思えるものでも
私が大好きな相手にとって その本は全く意味をなさないように感じたり、
面白いとも感じられないということが多々ある。

その本と出会うタイミングもあるし、何より個人の趣向というのが重要である。
だからこそ「この本」と出会ったとき、
大仰に言ってしまえば神様に感謝してしまう。

それは本が自ら呼んではくれないからだ。
本はただそこにあるだけで、人間のように向こうからアプローチしてくれることはない。

私は出会ってしまったんだ。本と。

なんで本を読むの?読書に意味はあるの?なんて台詞
いつだって言われているし、それに対する答えを与えてあげることはできない。
だって、それは「恋をしないと人生は意味がないのよ」と言ってしまうのと同じだと思うから。

胸がいっぱいになるような本や、答えが出てすっきりするような本と出会ったとき。
衝撃をうける本と出会い、人生観がひっくりかえってしまうんじゃないかと思ったとき。
「この人の違う作品も読みたい!」と思える本にめぐり合ったとき。
自分がとても幸運だなぁと素直に思える。

そして もうこんな出会いはないかもなぁと思う。
年を重ねて感受性がどんどんと鈍って愚鈍な人間になっていく。
そう思わずにいられないほどには色んなことがあったと思う。

思春期に出会った本。これ以上にはないような気がしてしまう。
そう思うとガッカリする。
この本で終わりになるのかも なんて考えてしまう。

人に薦めて高揚した声で「おもしろかった!」と言う台詞を聞くのは嬉しいけれど
私はそんな本にもう出会えないんじゃないかと思う。
そんな風に思っていたけれど、この本に書いてある物語を読んだらまた楽しみになってきた。

世界には想像もつかないほどのたくさんの芸術が存在する。
きっと私は端っこを握りもしないうちに人生を終えるだろう。
それでも構わないなぁと思うほどには、この本は素敵だと思えました。

本と出会う。それは、運命のように引き合わされる。
選んでいるのは自分だけれど、そこにも確かに見えない糸が存在するように思う。
忘れさえしなければ。思い出しさえすれば。
博識をひけらかす為に本を読むのではなく、出会うために本を読むのではないでしょうか?
久々にトキメク本に出会いました。幸運に感謝します。
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