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ヘルガ・シュナイダー 著 / 新潮社 出版 / 2004.10
****文学**記録・ルポタージュ****
(・д・` ) はい。・・・おすすめできません。
読んでる途中、バスの中で読んでたんですけど何度も吐き気をもようしました。
はっきりいってすごい本だと思います。
事実とは何なのか?とかクールに読める人。または歴史の事実を知りたい人。
そういう人には読んでみる価値アリの本だと思います。
σ(´・д・`) ひろりのようにすぐ感情移入するとかってタイプにはおすすめできません。
ナチの黒い組織だとかSSだとか親衛隊の存在だとか、そういうのを知ってはいたけど
人体実験のくだりが出てきたときとか、途中で挫折しそうになりました。
(´・д・`) いやー。歴史とか戦争とは恐ろしい・・・・
こういう風に書いちゃうとアホっぽいけど、平和な日本でぼへーと生きてるひろりには
ちょっと衝撃でした。
ナチの女看守であった母。
その娘ヘルガは、母に再会すべく国境を越えて会いに行きます。
女看守であったことを誇りとし、戦争が終わって50年以上がたったときも「総統」を崇拝する母。
90になった母。
(´・д・`) ・・・・1680円。そうだな。読む価値は十二分にあります。
お安いかもしれない価格ですね。・・・でも・・・家で読むにはおすすめはしない。
************感想(ネタバレ・注意)*************
すごい本でした。
気分が悪い。
自分の母に抱きしめて欲しい。
そう思っていた時期もあるだろうし、50を越えた今でもその感情は拭い去れない。
でも、著者は母を問い詰めます。
従兄弟と母に会いに老人ホームに行くんだけど
従兄弟が「やめなさいよ」という視線をむける意味がよくわからなかった。
でも著者ヘルガ・シュナイダーはこの作品の前にも「ナチス」についての話を書いてます。
あとがきに書いてあるのを読んだ時わかった。
これは事実だから、「本」になる。
自分の母の非道な行いを、問い詰め、それを世間に暴露する。
指をさす人だってきっといる。
そこにあるのはジャーナリストとしてのヘルガの存在とかそういうものではないと思う。
確かに「売って」いるのだから、自分の一番弱い部分を世間にさらさなければならないし
何より「母」の存在を「売らなければ」ならない。
葛藤があっただろうからこそ、この本は価値があるのではないかと思います。
「正しい」と思っている人の意見を変えることは何年経ってもできないのか?
他人の意見を「変えさせる」事はできない。
とりあえず読み終わったとき、どうしようもない感情の渦から脱け出せてホッとした。
「背骨」を抜いたり「筋肉」を抜いたりして、化膿するように木片やガラスを埋め込む
とか、
「焼却炉」に生きたままの人間がいても放りこむだとか
「銃殺」だとか、「ガス室」だとか、
そんな中にいても「カント」を読んでいた母。
自分の娘がひもじくて じゃがいもの夢を見ていた頃
ユダヤ人を殺しながら、パンでもチーズでも石鹸でも本でもあったアウシュビッツで看守をしていた母。
何が正しくて何が間違っているのかが交錯してきて混乱させられました。
人が死んでも、何も思わなくなるなんて。
それを戦争が終わっても目をギラギラさせて話すことができるなんて。
人体実験や、燃える大量の「人」の匂いの中で「食べること」ができるなんて。
私はその「極限状態」を経験してないからなのだろうか?と思い、
できることならそんな状態が訪れないことを祈るしかないのだと、そう思いました。
そういう人には読んでみる価値アリの本だと思います。
σ(´・д・`) ひろりのようにすぐ感情移入するとかってタイプにはおすすめできません。
ナチの黒い組織だとかSSだとか親衛隊の存在だとか、そういうのを知ってはいたけど
人体実験のくだりが出てきたときとか、途中で挫折しそうになりました。
(´・д・`) いやー。歴史とか戦争とは恐ろしい・・・・
こういう風に書いちゃうとアホっぽいけど、平和な日本でぼへーと生きてるひろりには
ちょっと衝撃でした。
ナチの女看守であった母。
その娘ヘルガは、母に再会すべく国境を越えて会いに行きます。
女看守であったことを誇りとし、戦争が終わって50年以上がたったときも「総統」を崇拝する母。
90になった母。
(´・д・`) ・・・・1680円。そうだな。読む価値は十二分にあります。
お安いかもしれない価格ですね。・・・でも・・・家で読むにはおすすめはしない。
************感想(ネタバレ・注意)*************
すごい本でした。
気分が悪い。
自分の母に抱きしめて欲しい。
そう思っていた時期もあるだろうし、50を越えた今でもその感情は拭い去れない。
でも、著者は母を問い詰めます。
従兄弟と母に会いに老人ホームに行くんだけど
従兄弟が「やめなさいよ」という視線をむける意味がよくわからなかった。
でも著者ヘルガ・シュナイダーはこの作品の前にも「ナチス」についての話を書いてます。
あとがきに書いてあるのを読んだ時わかった。
これは事実だから、「本」になる。
自分の母の非道な行いを、問い詰め、それを世間に暴露する。
指をさす人だってきっといる。
そこにあるのはジャーナリストとしてのヘルガの存在とかそういうものではないと思う。
確かに「売って」いるのだから、自分の一番弱い部分を世間にさらさなければならないし
何より「母」の存在を「売らなければ」ならない。
葛藤があっただろうからこそ、この本は価値があるのではないかと思います。
「正しい」と思っている人の意見を変えることは何年経ってもできないのか?
他人の意見を「変えさせる」事はできない。
とりあえず読み終わったとき、どうしようもない感情の渦から脱け出せてホッとした。
「背骨」を抜いたり「筋肉」を抜いたりして、化膿するように木片やガラスを埋め込む
とか、
「焼却炉」に生きたままの人間がいても放りこむだとか
「銃殺」だとか、「ガス室」だとか、
そんな中にいても「カント」を読んでいた母。
自分の娘がひもじくて じゃがいもの夢を見ていた頃
ユダヤ人を殺しながら、パンでもチーズでも石鹸でも本でもあったアウシュビッツで看守をしていた母。
何が正しくて何が間違っているのかが交錯してきて混乱させられました。
人が死んでも、何も思わなくなるなんて。
それを戦争が終わっても目をギラギラさせて話すことができるなんて。
人体実験や、燃える大量の「人」の匂いの中で「食べること」ができるなんて。
私はその「極限状態」を経験してないからなのだろうか?と思い、
できることならそんな状態が訪れないことを祈るしかないのだと、そう思いました。
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