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池田香代子, マガジンハウス 編 / マガジンハウス 出版 / 2004.12
****自然科学****
対象読者 小学生くらいから大人まで
手軽度 ☆☆☆☆☆ 5
納得度 ☆☆☆☆☆ 5
(´・д・`) はい。超有名な本ですね。
ヽ(≧∇≦)ノ『世界がもし100人の村だったら』ヽ(≧∇≦)ノ
知ってるかなぁ?知ってるよね。
知らない人のために一応説明させていただきます。
マスメディアにもたくさん取り上げられてた『世界がもし100人の村だったら』。
この本は作者の名前が明記されておりません。
発信したのはアメリカの先生の「メールでの学級通信」でした。
最初は「世界がもし1000人の村だったら」と例えた、父兄宛のメールからでした。
地球上に住む60億(発表当時)の人口だと、あまりに漠然としすぎてるからでしょう、
1000人の村人に例えて、発信されたわかりやすいメールはあっという間にアメリカに広がります。
メール、という手段だからこそ広がったのかもしれません。
そしてこの本の訳者である池田香代子さんが一冊の本にされ日本にもまた広まりました。
100人の村人は
52人が女性で48人が男性です。
89人が異性愛者で11人が同性愛者です。
80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めません。
そう、日本は恵まれている。
そう思わずにいられない、とてもいい本だと思います。
そして訳者(再話)の池田香代子サンは、一作目の印税で得た2000万円以上のお金を
全額寄附すると、テレビで言っておられました。
家族はその「寄附」に反対したそうです。そりゃそうだ。
(´・д・`) ・・・・ひろりも反対する。(ォィ
でも発行する前から決めていたから、とおっしゃってました。カクイイ( *´∀` )( ´∀`* )ネー
3作目は食べ物に関して書いてあります。
(´・д・`) でもちょっとパーセントが出てきたりするし、
細かくなっちゃうから1作目ほどの簡潔さはないかもね。
「少女ランマヤの給食ものがたり」というのが載っています。
貧しい国「ネパール」では文盲の子供たちが大勢います。
日本にいれば「たった」と思える金額で子供達は勉強できます。
制服代、給食代、学校の授業料、諸々を合わせてもきっと年間5000円以下でしょう。
知らなかった(*´・д・)(・д・`*)ネー
(´・д・`)b 買ってて持っていたい本です。
お値段も1000円〜1200円で買えます。
ひろりはひとりで何冊も買いました。
でもまだ持ってない (’◇’)ゞ すぐ人にあげちゃう・・・
そしてまた本屋さんに発注中です。
多分またあげちゃうんだろうけど(*´・д・)(・д・`*)ネー
買うなら『世界がもし100人の村だったら 2』と『3』を買うべきでしょう。
一作目の内容は『2』に載ってるから(*´・д・)(・д・`*)ネー
************感想(ネタバレ・注意)*************
1月の『アメージング・グレースが聴こえる』でも書きましたけども、
憐れむとかってことと、誰かのために何かをするってのはとても微妙な違いなんだと思います。
少しの意識の違いが大きな結果の違いをもたらすと思われます。
ネパールの少女を「カワイそうだ」と思うか、「あるがままを見るか」。
まぁ多くは「カワイそうだ」と見てしまうでしょう。
ホントの意味で相手を理解することは難しい。
学校の授業料が100円ほどだとしても、
それを払えないとしても、
食べるものに困っていたとしても、
文字が書けない読めない「文盲」だとしても、
誰かから憐れまれるべきかといえば、それは違うのだと思う。
心が反応してしまう。
「カワイそう」思ってしまう。
そういうとこ、自分の中で一番嫌いだなァと思ってしまう。
誰も「私」に「憐れまれる」存在ではありえないのに。
私は豊かな国でのほほんと暮らしている。
だから、「憐れみ」の気持ちが頭をもたげる。
正しいことを探そうとすると、いつも答えのない迷路に迷い込んでしまう。
私は「全てを」誰かのために、「平等」であるために、我慢することがで
きるのか?
でも資本主義になれきってしまった私は そんなことはできない。
ある程度のお金と、ある程度の「娯楽」がないと、きっと生きていけない。
その辺りのバランスが思考を安定させてくれない。
でも、落ち込んだり、悲しかったり、辛いときに
本を開いてみて
こんなに恵まれてる私が悲しいのはおかしいな、と思うのです。
誰かと比べようと思っているわけじゃないけど
今日、この日があるってことは素晴らしいと思えるはず。
思い込もうとしてるのかもしれないけど。
私は、もっと「幸せだ」と思ってもいいはずなんだよね。100人の村の中ではね。
( ´゚д゚`) 贅沢三昧!!
発信したのはアメリカの先生の「メールでの学級通信」でした。
最初は「世界がもし1000人の村だったら」と例えた、父兄宛のメールからでした。
地球上に住む60億(発表当時)の人口だと、あまりに漠然としすぎてるからでしょう、
1000人の村人に例えて、発信されたわかりやすいメールはあっという間にアメリカに広がります。
メール、という手段だからこそ広がったのかもしれません。
そしてこの本の訳者である池田香代子さんが一冊の本にされ日本にもまた広まりました。
100人の村人は
52人が女性で48人が男性です。
89人が異性愛者で11人が同性愛者です。
80人は標準以下の居住環境に住み、70人は文字が読めません。
そう、日本は恵まれている。
そう思わずにいられない、とてもいい本だと思います。
そして訳者(再話)の池田香代子サンは、一作目の印税で得た2000万円以上のお金を
全額寄附すると、テレビで言っておられました。
家族はその「寄附」に反対したそうです。そりゃそうだ。
(´・д・`) ・・・・ひろりも反対する。(ォィ
でも発行する前から決めていたから、とおっしゃってました。カクイイ( *´∀` )( ´∀`* )ネー
3作目は食べ物に関して書いてあります。
(´・д・`) でもちょっとパーセントが出てきたりするし、
細かくなっちゃうから1作目ほどの簡潔さはないかもね。
「少女ランマヤの給食ものがたり」というのが載っています。
貧しい国「ネパール」では文盲の子供たちが大勢います。
日本にいれば「たった」と思える金額で子供達は勉強できます。
制服代、給食代、学校の授業料、諸々を合わせてもきっと年間5000円以下でしょう。
知らなかった(*´・д・)(・д・`*)ネー
(´・д・`)b 買ってて持っていたい本です。
お値段も1000円〜1200円で買えます。
ひろりはひとりで何冊も買いました。
でもまだ持ってない (’◇’)ゞ すぐ人にあげちゃう・・・
そしてまた本屋さんに発注中です。
多分またあげちゃうんだろうけど(*´・д・)(・д・`*)ネー
買うなら『世界がもし100人の村だったら 2』と『3』を買うべきでしょう。
一作目の内容は『2』に載ってるから(*´・д・)(・д・`*)ネー
************感想(ネタバレ・注意)*************
1月の『アメージング・グレースが聴こえる』でも書きましたけども、
憐れむとかってことと、誰かのために何かをするってのはとても微妙な違いなんだと思います。
少しの意識の違いが大きな結果の違いをもたらすと思われます。
ネパールの少女を「カワイそうだ」と思うか、「あるがままを見るか」。
まぁ多くは「カワイそうだ」と見てしまうでしょう。
ホントの意味で相手を理解することは難しい。
学校の授業料が100円ほどだとしても、
それを払えないとしても、
食べるものに困っていたとしても、
文字が書けない読めない「文盲」だとしても、
誰かから憐れまれるべきかといえば、それは違うのだと思う。
心が反応してしまう。
「カワイそう」思ってしまう。
そういうとこ、自分の中で一番嫌いだなァと思ってしまう。
誰も「私」に「憐れまれる」存在ではありえないのに。
私は豊かな国でのほほんと暮らしている。
だから、「憐れみ」の気持ちが頭をもたげる。
正しいことを探そうとすると、いつも答えのない迷路に迷い込んでしまう。
私は「全てを」誰かのために、「平等」であるために、我慢することがで
きるのか?
でも資本主義になれきってしまった私は そんなことはできない。
ある程度のお金と、ある程度の「娯楽」がないと、きっと生きていけない。
その辺りのバランスが思考を安定させてくれない。
でも、落ち込んだり、悲しかったり、辛いときに
本を開いてみて
こんなに恵まれてる私が悲しいのはおかしいな、と思うのです。
誰かと比べようと思っているわけじゃないけど
今日、この日があるってことは素晴らしいと思えるはず。
思い込もうとしてるのかもしれないけど。
私は、もっと「幸せだ」と思ってもいいはずなんだよね。100人の村の中ではね。
( ´゚д゚`) 贅沢三昧!!
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