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アムリタ〈上〉アムリタ〈上〉 〈下〉
よしもとばなな 著 / 角川書店 出版 / 1994.1
****文学**日本文学****
おすすめ読者年齢 高校生以上

ずいぶん前の作品になるんだけど読んだ事なかったから読んでみた。

主人公は朔美。
父親とは早くに死別。
母は再婚し、年の離れた小学生の弟を産む。そしてその後離婚。
妹は芸能界で働いていて寝る間もないほど目まぐるしく働き、引退後交通事故でこの世を去る。

家には母と、父親の違う小さな弟。下宿している従兄弟。母の友達の純子さん。
その5人で暮らしている。
はたから見れば奇妙な家の中は家族として結構うまく暮らしている。

はじめの「メランコリア」の後「アムリタ」本編が始まる。

いきなり朔美が階段から落ちて記憶をなくし、
そのあと切れぎれになった記憶。
どこか他人のような「傍観」で実感の伴わない生活を続ける朔美。

読み始めて「よしもとばなな節」で綴られていた文章に
いきなりの急展開が入ってきて理解できなかったのだけれど
もう一回読み直したらわかった。(´・д・`)ゞ本編は階段落ちた後の朔美から始まってたのね。

階段から落ちた後、久々に会う友人達に「一皮むけた」と評価されて
「キレイになったとか言えないのか」と返せば、口を揃えて そういうのじゃないといわれる。

弟の由男は家に閉じこもりがちになる。
近所の宮本さんが人を刺す。
久々に会った友人栄子がすっかり水商売風になっている。
記憶を実感として捉えられないまま 妹の彼氏だった竜一郎と関係を持つ。そして恋をする。
そんな具合に一章一章で場面が変わり、時間も少しづつ動いている。

実感できない記憶を取り戻そうと右往左往したり、ジタバタするんじゃなくて
もう前の私には戻れないのかなぁ、と思う朔美。

後半には超能力的な感性のことも出てきたりします。

よしもとばななサンの作品の中ではちょっと読みずらかったかなぁ。

************感想(ネタバレ・注意)*************
よしもとばななサンの作品には、いつも「第六感」が存在する。
例えば、なんとなく相手の気持ちがわかるとき。
相手が連絡してくるのがわかるとき。
そういう「勘」が鋭いと言われるようなもの。
それを確信をもって存在する、と 自分の中で確証のように信じる主人公だ。

生活の中でそういうことを感じる事はよくある。
例えば予知夢だとか。
他人はどうなのかしらないけれど、私は小学校のときよく予知夢を見ていた。
それがどこでいつで、その夢を見たから回避できるとかってことじゃなくて
ケガをした時に保健室に向かうとき、あぁー。あん時の夢は今日の事だったのかぁというような。
コヨリにされた紙の先に色がついているものを引くタイプのくじ引きなんかでは
触ったら色が見えていた。ガラポンになったら全く効力を失ったけど。

まぁこういうこと言うと「イタイ子」になるのは目に見えてたから言わなかった。

『アムリタ』で、朔美の弟の由男が色んなものが見えるようになる。
小さな弟は見えすぎる能力で家にこもるようになるんだけど
あんまり人の事が見えたり、他人に見えないものが見えたりすると辛いよなぁと思う。

「サトラレ」って映画で自分の心の中が誰かに読まれる、というか伝わってしまうってのがあったけど
ずーっとそういう恐怖を持っていた。25になるくらいまで。
子どもの頃の「感じる」力は小学校に上がる頃には全くなくなったけれど
他人の事なんてわかるもんか、と信じていることだとか
今マシンガントークで喋り続けることだとか、嘘を言わないでおこうと思うだとかっていう
自分の主義とか習慣っていうのは小さい頃にそんな風に思ってたからだなぁと思う。

別に自分が特殊だったとは思ってない。
小さい頃ってみんな色んな力を持ってるんじゃないかなぁ。
多分それを誰かに話して、大人や友達に否定されて
知らないうちに能力もなくなって、そのことすらすっかり忘れてるんじゃないかなぁと思う。

ものすごい偶然に引き寄せられる「縁」のある人だとか「虫の知らせ」だとかっていう
目に見えないもので、身近にあるものもある。
そういうものを完全に否定する事はできないと思う。

生きているってこともたまに疑いたくなる事がある。
シェイクスピアが人生は夢のようなものだと言ったけど
ふっと気を抜いた時に、あれー、今ホントは寝てんのかなぁ?とか思うこともある。

今現在は、そんなサイキックだったりSFだったり、ファンタジックなものを信仰するように
UFOはいるんだ!とか 死後の世界は存在する!と主張したりはしないから(昔も別にしてないけど)
昔ちょっと頭がおかしかったのか、本当に感じていたのかわからない時期の自分に比べたら
全く感知することがなくなった今の方が、そういう目に見えないものを信じているように思う。

死後の世界がない!と主張する友達が
暗がりを恐がるのは見えないものが見えたら嫌だなぁって「信じている」恐怖で
今まで見たことがないけどいるんじゃない?って言ってる私が暗闇を恐がらないのは
「今、見えないから」私にとっては「いない」と思っている。でも存在はある、と思う。

自分って他人と比べられないから、昔予知夢を見てたときには
自分が「意識過剰」なんじゃないかと思ってたけど 今思ったら多分それは確かにあったんだろう。
なくなったから思う。認められる。人が見たら変だったかもしれない、昔の私は。

まぁこういうこと四六時中言うタイプの人間じゃないから
友達に言っても冗談にしかとられないし、
現実に起こったとしても損したり苦労するようなことじゃなかったからなぁ。
予知できたわけじゃないし。

まぁこういうことばっかり言ってたら「イタイ」なぁ。
ほんでも思うんだからしょうがない。
相手が信じる信じないは関係ないし わかってもらえなくてひかれたとしても私は私だし。
嘘も墓まで持っていってしまえば「真実」になるんだから。
真実だとか虚構だとかってのはなんてあやふやなものなんだろう。
たしかに見えても、たしかに感じても、確かにそこに存在したとしても
相手が共有しないのなら「嘘」だ。
そして相手の気持ちも本当にはわかりやしないんだから。

所詮人は「個」で、死ぬ時はひとりだし、自分は死に向かって進んでいるんだから
どんなにわかりあったとしても結局は「個」でしかない。
だからこそ自分の話を聞いてくれる友達がいるってことはその時しかない素晴らしい事で
悲しい気持ちや嬉しい気持ちや暖かい感傷のようなものを誰かと共有できるのは
一瞬だったとしても虚構だったとしても、それは確かに自分の中にあったものとして
未来も自分の中に蓄積される。

誰かと出会って別れてを繰り返して、どんなに気持ちが引き裂かれたとしても
もう立ち直れないと思ってしまったとしても、どんなにひどい事をしたとしても
自分の中にある「個」と戦い続けるしかない。
迷惑かけないなら、想うことは、信じる事は、
ひっそりと自分の心に咲かせる花であってもいいんじゃないかなぁ。

段々脱線したけど・・・・
『アムリタ』の朔美が 本当は「孤独で淋しい」と他人に指摘されているところがある。
そして「もろい」と言われる。
夜中に自分の事が誰だかわからなくて目覚めるときがある、
それは自分の中で葛藤と戦っている弱い状態だと。
他人に描写された「自分」を朔美は、認めざるをえないもので、ショックでもあり、おもしろいとも思う。
別れも出会いも過ぎ去るだけで「孤独」だったとしても それでも仕方がないと朔美は思う。
そんな状態の自分だってそんなに悪くないと思う。

そうだなぁと思う。
誰の事も変えられることはできないし、それが「自分」であるなら変えようがない。
愛情に対して同じだけの愛を返す事ができる人も多くいるだろうけど
世の中の人全員ができると思うのは、自分が他人と違うと思うのと同じくらい傲慢だ。
他人のことはわからないし、裏切られても騙されても仕方ない。
その人はそういう性質なんだなぁと思う。
腹が立ったり悲しくないいわけじゃないんだけど、
時間が経ったら「仕方ないなぁ」というところに落ち着く。

「自分」を指摘されて朔美は次の日高熱を出すんだけど、
指摘した人はとても反省することになる。
本当のことを言うというのは 刃でもあり、治癒させるための薬にもなる。
やっぱり真実を言うのは、本当に大切な人だけにするべきなのかもなぁと思ったりした。
何も言わないほうがよっぽど楽なんだから、言わずにおくべきなのかな。そろそろ。
大人ってややこしいなぁ。

『アムリタ』を読んで色んなことを思い出したり、今を幸せだと思ったりしました。
私は今ここにあって、きちんと私を見ようとしてくれる人もいる。
私は「自分を知っているつもりの人」よりも
たまには「今の私を見ようとしてくれる人」が好きだな。そういう人でありたい。

ひろり自身としてはとても好きなお話ですが、
よしもとばななサン読んだ事ないって人にはお薦めできないかも。
他の『キッチン』とか『TSUGUMI』読んでからの方がいいかなぁ。
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