恋愛小説、泣ける本からマニュアル本まで。
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青木 和雄, 吉富 多美 著 ; 金の星社 出版 / 2005.4
****日本文学**小説****
おすすめ読者年代 小学校高学年以上
泣ける指数 ☆☆☆☆☆ 5
ハッピー度 ☆☆☆☆☆ 5
「めっちゃ泣いた!感動しますよ!」
何回この言葉を聞いただろう。
生徒が「中学の時に読んで泣いた!」と言う。
それも本なんてあまり読まなさそうな子まで。
書き出しからいきなり「泣くため」の序章が始まる。
**引用**
「おまえ、生まれてこなきゃよかったよな。」
電子レンジで暖めたカレーを、器用に二つのさらにとりわけながら直人が言った。レトルトカレーのあまずっぱい匂いが、キッチンいっぱいに広がった。
********
「あー、泣くための本なのか」と思いながら読み出したのに。
泣く設定の本、と言うのがある。
たとえば、「死」を扱ったもの。「死にネタ」と言われる作品。
恋人との別離。解りあえなかった身内の死後の真情描写。
そういう「泣くための本」には、親が暴力を振るう、または心理的圧力もある。
最初は、親に誕生日を忘れられ、兄にも「うまれてこなきゃよかったのにな」と言われる。
そして小学生の主人公あすかの声は心理的ストレスにより失われる。
不幸な家族の中で頑張る主人公の話なのかと思った。
冷静に読み始めたはずなのに、最初の方で泣きそうになった。
あすかの兄直人が、声の出なくなったあすかを思い遣る場面で。
兄の提案によりあすかは母方の祖父母の家である宇都宮に行くことにする。
そこであすかは、心から安心できる場所を得ることになる。
声が出なくても自分の事をわかってくれる祖父母との生活。
あすかは少しずつ「自分」を取り戻していくことになる。
この本の中には親子の関係ばかりでなく、
死、イジメ、進学への不安、兄弟への嫉妬、愛。
たくさんの要素がつまっています。
どこかには、経験したことがある痛みの要素が入っていることでしょう。
読書をすることの意味は「新しい知識を得ること」の他に
「自分ひとりではないんだ」と、安心感を得られることがあると思います。
少なくとも私はそうでした。
世の中のどこかに「私と同じおもいをした事がある人」
もしくは「わかってくれる人、考えてくれる人」が存在することは、
迷うこと、考えること、傷つくこと、そのこと自体が間違っていないと思えることになります。
アンケートで中学生の頃読んだ印象に残っている本として
何人もが本書を挙げる理由がわかりました。
最後は暗いままで終わらないので、読み終わったあと暗くなるということもありません。
大人が読めば、優しくなってみようと思える本であると思います。
************感想(ネタバレ・注意)*************
『ハッピーバースデー命かがやく瞬間(とき)』(1997刊)に
大幅に加筆修正をしたこの作品。
図書館に入れたのはずいぶん前で、しかも既読の生徒が薦めてきた。
既読の作品を薦めてくる生徒と言うのは大体本が好きな子だ。
読みたいけどお金がない、という読書意識も素晴らしい。
でも「みんなにすすめたい」と言うものは、限られている。
相当の思いいれのある作品ということだ。
夏休み、生徒に借りられてなかったから借りてみた。
すでにもうボロボロになった本を手にとってみた。
「泣ける」と言われて読むというのはあまり気がすすまないものだ。
タイトルに惹かれたわけではなし、愛を求めて彷徨う母娘の物語、というのも大層だ。
そんな風に読み始めたのに、最初の2、30ページですでに泣きそうになった。
お母さんに受けた仕打ち、兄からの侮蔑の言葉。
涙がこみ上げるというより、悲しくなる文章だ。
ただこの物語には悩んだ時、迷った時、救いの手を差し伸べてくれる人がいる。
その優しさが表現される度、涙がこみ上げてくる。
悲しさと言うのは、ひどい仕打ちを受けたときよりも、
自分を肯定してくれる人に会ったときに、
心の中で鍵をかけておいたはずの感情が溢れ出す。
自分が悲しくて辛かったのだと気づいたとき、安心感を得た時。
ずっと押さえ込んでいたことが悲しいと思えるとき、
思ってもないほど悲しみが溢れ出してくる。
殴られて、傷つけられて、相手を恨む気持ちよりも
自分が信用していたり安心している人間との別離の方がよほど辛い。
優しくされたり、安心できる相手と巡り会うことは
泣くことができる場所を得ると言う事だ。
この本の評価は人それぞれだと思いますが、
「いい人」「悪い人」という定義づけが出てこないことがよかったです。
人は良くも悪くもなれると言う事が書いてあるような気がします。
たとえば、「死」を扱ったもの。「死にネタ」と言われる作品。
恋人との別離。解りあえなかった身内の死後の真情描写。
そういう「泣くための本」には、親が暴力を振るう、または心理的圧力もある。
最初は、親に誕生日を忘れられ、兄にも「うまれてこなきゃよかったのにな」と言われる。
そして小学生の主人公あすかの声は心理的ストレスにより失われる。
不幸な家族の中で頑張る主人公の話なのかと思った。
冷静に読み始めたはずなのに、最初の方で泣きそうになった。
あすかの兄直人が、声の出なくなったあすかを思い遣る場面で。
兄の提案によりあすかは母方の祖父母の家である宇都宮に行くことにする。
そこであすかは、心から安心できる場所を得ることになる。
声が出なくても自分の事をわかってくれる祖父母との生活。
あすかは少しずつ「自分」を取り戻していくことになる。
この本の中には親子の関係ばかりでなく、
死、イジメ、進学への不安、兄弟への嫉妬、愛。
たくさんの要素がつまっています。
どこかには、経験したことがある痛みの要素が入っていることでしょう。
読書をすることの意味は「新しい知識を得ること」の他に
「自分ひとりではないんだ」と、安心感を得られることがあると思います。
少なくとも私はそうでした。
世の中のどこかに「私と同じおもいをした事がある人」
もしくは「わかってくれる人、考えてくれる人」が存在することは、
迷うこと、考えること、傷つくこと、そのこと自体が間違っていないと思えることになります。
アンケートで中学生の頃読んだ印象に残っている本として
何人もが本書を挙げる理由がわかりました。
最後は暗いままで終わらないので、読み終わったあと暗くなるということもありません。
大人が読めば、優しくなってみようと思える本であると思います。
************感想(ネタバレ・注意)*************
『ハッピーバースデー命かがやく瞬間(とき)』(1997刊)に
大幅に加筆修正をしたこの作品。
図書館に入れたのはずいぶん前で、しかも既読の生徒が薦めてきた。
既読の作品を薦めてくる生徒と言うのは大体本が好きな子だ。
読みたいけどお金がない、という読書意識も素晴らしい。
でも「みんなにすすめたい」と言うものは、限られている。
相当の思いいれのある作品ということだ。
夏休み、生徒に借りられてなかったから借りてみた。
すでにもうボロボロになった本を手にとってみた。
「泣ける」と言われて読むというのはあまり気がすすまないものだ。
タイトルに惹かれたわけではなし、愛を求めて彷徨う母娘の物語、というのも大層だ。
そんな風に読み始めたのに、最初の2、30ページですでに泣きそうになった。
お母さんに受けた仕打ち、兄からの侮蔑の言葉。
涙がこみ上げるというより、悲しくなる文章だ。
ただこの物語には悩んだ時、迷った時、救いの手を差し伸べてくれる人がいる。
その優しさが表現される度、涙がこみ上げてくる。
悲しさと言うのは、ひどい仕打ちを受けたときよりも、
自分を肯定してくれる人に会ったときに、
心の中で鍵をかけておいたはずの感情が溢れ出す。
自分が悲しくて辛かったのだと気づいたとき、安心感を得た時。
ずっと押さえ込んでいたことが悲しいと思えるとき、
思ってもないほど悲しみが溢れ出してくる。
殴られて、傷つけられて、相手を恨む気持ちよりも
自分が信用していたり安心している人間との別離の方がよほど辛い。
優しくされたり、安心できる相手と巡り会うことは
泣くことができる場所を得ると言う事だ。
この本の評価は人それぞれだと思いますが、
「いい人」「悪い人」という定義づけが出てこないことがよかったです。
人は良くも悪くもなれると言う事が書いてあるような気がします。
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